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移住者インタビュー 安達 貴さん

川内村の大自然の中でワイン造り
安達 貴さん
2020年12月に川内村に移住した安達 貴さん。大学で醸造を学び、その後は山梨県や青森県を経て福島県へ。その歩みはまさに“ワインに導かれた”と言えるものでした。現在は「かわうちワイン株式会社」の栽培・醸造責任者として、そして川内村地域おこし協力隊として活動しています。お子さんと一緒に川内村に移住した安達さんに、村での暮らしをお聞きしました。

川内村でワイナリーの立ち上げに携わる

東京農業大学の醸造科学科で、発酵の勉強をしていました。お酒を飲むのが好きで、発酵の中でも酒造りに興味をもちました。日本酒やビールなど、お酒といっても様々な種類がありますが、ワインだけは原料であるブドウ栽培から醸造まで全てに関われるんです。やるんだったら全部自分でやってみたい。そう思ってワインの道に進みました。
学生時代に休みを利用して、オーストラリアやニュージーランドの家族経営のワイナリーにファームステイしていました。そこが本当に素敵な場所で。丘の上に家があって、斜面がブドウ畑とオリーブ畑なんですよ。僕が求めていたのはこういう生き方だ!と思いました。東京でサラリーマンも経験しましたが、僕には無理でしたね(笑)。やっぱり自然の中でワイン造りがしたかった。
山梨県のワイナリーで栽培と醸造、両方を経験しました。その後、青森県でワイナリーの立ち上げに関わり、そこからさらに、知り合いの紹介でアドバイザーとして福島県浜通りのワイン造りに携わることに。川内村でワイナリーを立ち上げるから力を貸して欲しいということで、川内村に移住しました。振り返ってみると、ワインに導かれて川内村にたどり着いたという感じですね。

村人のあたたかさを感じる

自分から川内村に移住したくて来たというよりは、ワイン造りを手伝って欲しいと引っ張られて移り住んだので、普通の移住者とはちょっと違うと思っているんですよね。村長にも正直にそのことをお話しして、移住支援金などは貰えないとお伝えしたのですが、それでも「これは村の総意だから受け取って欲しい」と言ってくださって。手渡しで支援金をいただきました。それにはちょっと感動しました。
“村”って聞くと閉鎖的なイメージがあったのですが、実際に暮らしてみると川内村はまったくそんなことはなく、皆さんあたたかく迎え入れてくれました。「安達くんが来てくれたから、ワイナリー事業がここまでこれた」と言ってくれて、素直に嬉しいですね。
村で暮らしていて、大変かなと思うのが買い物です。スーパーが村内にないので、お隣りの田村市や小野町まで出かけて、1週間分の食料をまとめ買いしています。洋服や日用品などはネットで購入しています。慣れてしまえば全然平気になりました。便利さより、自然の中で暮らせることの方が、僕には大切なので。

スポーツ少年団のコーチに

娘が村のスポ少でバレーボールを習い始めたんですけど、実は僕、役場に直談判してそこのコーチになったんですよ。東京にいた頃、サッカーのコーチをしていて、その経験を活かせるんじゃないかって思ったんです。誰かに“教える”というのは、実際にスポーツをやるのとはまた違った技術が必要です。僕がコーチとして入ることで、子どもたちがレベルアップしてくれれば嬉しいし、何より自分が楽しんでいます(笑)。休日は家に引きこもるんじゃなくて、せっかく移住したんだから村での暮らしを思いっきり楽しみたいんですよね。自分からやりたいことを見つけてコミュニティの中に入っていくというのが、大切なんじゃないかなと思います。

川内村のワインを全国へアピールしていく

とある経営者が「SNSで発信して批判的な意見を受けたとしても、知られていないよりはマシ。知られていないのは存在していないということと同じだ」とテレビで話しているのを見たんです。まったくその通りだなと思いました。
日々の記録くらいの小さな発信ですが、ワイナリーのインスタは僕が担当ています。
それから、芸人さんのオンラインサロンで「かわうちワイン」の話をさせてもらったりもしています。この地域ではしずつ浸透してきていますが、全国的に見たら「かわうちワイン」はまだまだ知られていません。僕が発信し続けることで、少しでも「かわうちワイン」を全国に広めていきたいと思っています。
「かわうちワイン」が広まるということは、川内村の認知も高まるということ。多くの人に川内村を知ってもらうために、これからも頑張っていきたいです。

「文/遠藤 真耶」
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